春の祭典 マニフェスト

第1章 | 序奏 ― 春の兆し 


Ginza CAT Galleryは、2026年2月1日、銀座五丁目に開廊した。
それは、周到に準備された理想的な始まりというよりも、
気づけばすでに始まってしまっていた、という感覚に近い。


春もまた、そうして始まる。
予告なく進行し、立ち止まることを許さず、
始まってしまってから初めて、
それが希望だけではない季節であることを突きつける。


祝福と不安、期待と違和感が入り混じりながら、
それでも春は進み、花は咲いてしまう。
爛漫に咲くしかない。
それがどれほど残酷で、
どれほど無防備な選択であったとしても。


本展「春の祭典」は、
ストラヴィンスキーの同名のバレエ音楽に着想を得た
展覧会シリーズである。
春を淡く穏やかな季節ではなく、
生命の衝動が立ち上がる瞬間として捉える。


第1章「序奏 ― 春の兆し」では、
多様な表現の芽生えを通して、
始まりの衝動と、そこに立ち上がる生命の気配を見つめる。

第2章 | 春の輪舞(ロンド)


春は、ただ訪れるのではない。
繰り返され、巡りながら、 少しずつ姿を変えていく。
同じように見える日々のなかで、
色は揺れ、かたちはほどけ、触れられるものへと近づいていく。

第1章において立ち上がった、さまざまな表現の衝動は、
ここで素材へと移行し、身体との関係を帯びはじめる。


繊維、糸、ガラス、金属、そして石。
それぞれの素材は固有の重さと光を持ち、
触れることのできる距離で、静かに応答する。
それらは単独で存在するのではなく、反復し、呼応しながら、
空間のなかにリズムをつくり出す。
「輪舞(ロンド)」とは、繰り返しと変奏によって成り立つ形式である。


本章では、その構造を空間へと置き換え、
素材と表現が循環しながら関係を結び直す場を試みる。
春は、常に同じかたちでは現れない。
それでも確かに、繰り返し訪れる。
そのわずかな差異のなかに、変化と生成の気配が宿っている。

第3章 | 大地の踊り ― 祝祭 


春は、立ち上がり、巡り、やがてひとつの場を満たす。

第1章において芽生えた表現の衝動は、

第2章では素材へと移行し、身体との関係を帯びて、

ロンドの如く循環した。

それらはここで、空間全体の出来事として現れる。

色彩、形状、重量、質感。

異なる要素が互いに干渉し、関わりを結び直しながら、

場に複数のリズムを生み出し、崇高なる不協和音を帯びていく。

それは、それぞれから溢れ出る過剰なまでの美の

ダイナミクスの重なりである。

祝祭の熱狂は、秩序を逸脱する

しかし、Ginza CAT Galleryにおける「春の祭典」は、

祝祭のまま集結し、生贄を求めない。

ストラヴィンスキーの音楽が不意に途切れるように、唐突に終わる。

美の印象はそのまま残り、それぞれの時間へと回帰する。

そして、それぞれの春は、それぞれの場所で続いていく。

ただし、私にはいつでも、

このアーツクラフツの春の生贄になる覚悟がある。